2020-01-31 第201回国会 参議院 予算委員会 第3号
そのときに、例えば、刀を見たいでありますとか、こういう絵を見たいというときに、桃山時代の焼き物に興味がありますというときに、それが、どこにどんなものがあるのかというのを探そうと思っても、それを探すことが、一括して探すことができないと。
そのときに、例えば、刀を見たいでありますとか、こういう絵を見たいというときに、桃山時代の焼き物に興味がありますというときに、それが、どこにどんなものがあるのかというのを探そうと思っても、それを探すことが、一括して探すことができないと。
実は、私の地元の吉志部神社というところは、これは桃山時代から四百年間ずっと続いてきたきれいな神社でありましたけれども、これも日本の重要文化財の一つでありましたが、実は、二〇〇八年、放火で全部焼失してしまいました。
○小宮山分科員 桃山時代から大変すばらしい意匠のものもございますので、ぜひ、一千点と言わず一万点ぐらいはそろえていただければなというふうに思います。 さて、私の地元は川越でございまして、ユネスコ無形文化遺産で指定を受けました川越氷川神社の祭り、川越まつりが大変有名であります。
調べてみますと、安土桃山時代、一五九六年九月一日に、大分の豊後地震、大地震がありました。そこからいろいろなところで揺れ続けて、四日後には、伏見、京都で大地震。これは、豊臣秀吉のつくった伏見城がすぐに壊れてしまったので、歴史上にもよく出てきます。先ほどおっしゃったのは九州の断層の名前ばかり出ていましたけれども、豊後水道で起きた地震が伏見でも起きている。これは連鎖地震じゃないかと言われています。
○落合委員 大臣、科学的にはそうだということですが、豊後地震が伏見の地震まで波及した可能性が高い、それは安土桃山時代ですけれども。政治的な判断として、川内原発を最低でも一時的にでもとめるという判断は、検討ぐらいはするべきではないでしょうか。
ところが、今委員が御指摘の太閤堤というのは、安土桃山時代に豊臣秀吉が築造したということがはっきりしておりますし、非常に大規模な、立派な堤防でございます。そういった意味では、非常に歴史的な価値、また文化的な価値も高いというふうに判断をいたしております。
このたび発掘されました堤防跡は、城郭のように石垣を築いた大規模なものでございまして、位置や規模、構造から見て、安土桃山時代に豊臣秀吉が築造したことが知られております太閤堤と考えられます。
奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、江戸時代、そして幕末のときには京都に移転をいたしまして、そして改めてまた東京に移転をして、今、東京時代。すべて地域、場所の名前で呼ばれています。 ということは、時代が変われば場所が変わった、場所が変われば必ず時代が変わった。逆に、首都機能の場所が変わらなかったら時代は絶対に変わっていない。
その後の四百年、安土桃山時代にこれまた木造の、非常に木の文化が栄えた時代が来た。その四百年後が西暦二〇〇〇年の今なんですよ。だから、今この木の文化に力を入れずしていつ入れるんだ、そういう感じがしますので、ぜひ横断的に、大臣、応援してほしい。
それから、木造については歴史があって、奈良時代、四百年後の鎌倉、そして四百年後の桃山時代。その八〇〇年、一二〇〇年、一六〇〇年と木造のブームが来ているんですよ。その四百年後が今の二〇〇〇年で、このときに来ているんです。 だから、歴史的な流れからすると、今本当にそういう意味では文化財に力を入れると同時に、木の文化に、その再生に力を入れるべきときだと私は訴えまして、質問を終わります。
飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土時代、桃山時代、江戸時代、そして今、東京時代でございます。この事実は、首都機能が移転すれば必ず時代が変わった。そして、移転しなければ絶対に時代が変わらなかったということを示しております。
奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、江戸時代、そして今、東京時代でございます。 このことを考えますと、首都機能が移転したときには必ず時代が新しくなった。そして、首都機能が移転しなかったときには時代が新しくならないで続いた。
奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、江戸時代、そして東京時代でございますが、江戸から東京へ行く間、今ちょうど大河ドラマでNHKでやっておりますけれども、首都機能が京都に五年間移転しているんですね。その間に大きな改革が行われました。首都機能の移転がいかに世の中を大きく改革するか、また移転しなかった場合の改革がいかに難しいか、日本の歴史はよく示していると思います。
奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土時代、桃山時代、江戸時代、そして現在は東京時代でございます。つまり、すべての時代が、その首都機能が移転すれば時代は変わった。二つの首都機能所在地をあわせて一カ所に呼ばれることもまずございませんし、逆に、首都機能の移転がなくして時代が変わった、抜本的に変わったという例もございません。 平安時代は三百九十八年も続きました。
奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土・桃山時代、江戸時代というわけです。恐らく現代は何百年か後にはまた東京時代と呼ばれるようになるでしょう。 すべての時代区分が首都機能の所在地で呼ばれている歴史を持つ国は世界で我が国だけであります。このことは、日本では首都機能が移転しなければ本質的な改革はできなかったということを意味しています。
奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土・桃山時代、江戸時代、こう呼ばれておるわけでございます。このことは、首都機能が移転すると必ず時代は変わった、また、移転しない間は絶対に時代が変わらなかった。
それで、これは恐らく桃山時代か何かはあったか知りませんけれども、こういうばかばかしいやつをまだ残しているということはナンセンスです。しかも、書いてあるのを見ますとまだ片仮名で濁点が打ってないんですね。それで、内容たるや前時代的で、例えば第四項症というのがあるんです。これは「両、耳ノ聴力カ」なんですね、「がじゃなくて「カ」なんですよ、片仮名で。
○吉澤説明員 我が国の美術品は桃山時代からヨーロッパへ輸出されておりますけれども、明治時代から第二次世界大戦後にかけては一層多様な古美術品が海を渡っております。それらの美術品は大変膨大な数に上ると見られております。
言うならば桃山時代、信長以来ずっと貯金せんことには五億円というのは手に入らぬのです。こういうふうなことが庶民の感覚でございます。感覚なんです。 そういうふうに考えていきますと、いかにも無 造作に五億、二億、三億、どういうふうな真実、真相があるやにはわかりませんといたしましても、これが動いていく。
○吉澤説明員 我が国の美術品は桃山時代からヨーロッパヘ輸出されておりましたが、近代においては一層多様な古美術品が海を渡っておりまして、それらの数は非常に膨大になっております。 このため、文化庁の指導によりまして平成二年度から日本芸術文化振興基金の助成金を得まして、専門家を中心にいたしまして欧米諸国を中心とする諸外国で博物館などが所蔵する日本古美術品について実態調査を始めているところであります。
私はあの「寅さん」の映画というのはほとんど見ておりませんので、自分が受験生だったら余りいい答案を私は書けなかったであろうと思いましたが、「寅さん」だけでなくて、もう一つ現代文におもしろい問題が出ておりまして、それはいわば近代芸術というものと安土桃山時代の美術品とをツバキを題材にして比較したものなんでございます。